[第十一番]清水寺
き よ み ず で ら 厄ばらいのお寺として慕われる清水寺は、今を去る千四百余年前、用明天皇即位二年(587年)尊隆上人によって開かれたお寺である。 開基以前のこと、山頂に瑞光現れ、その光明を因として山を端光山と号し、また湧出する水の清く霊なるをもって清水寺と名づく。その後推古天皇端夢に清水の観音、厄除けの霊験あらたかを感得され、信を起こして鎮護国家の道場となし、斎田を勅して堂塔伽藍を賜る。 その後堂舎荒廃し、平城天皇の勅を仰ぎて中興開山盛縁上人復興に尽くし、大同元年(587年)七堂伽藍を完備する。中国随一を誇ったという。 承和十四年(847年)十一月、慈覚大師(天台座主円仁)唐留学の帰路、当山に立ち寄り、光明真言の秘法を伝法、これを機に天台宗となる。その後再三火災に遭うも、明徳四年(1393年)四月、再び大伽藍を復興、今日の寺景をつくる。戦国時代に入るや尼子と毛利の戦いに巻き込まれ、毛利によって焼き討ちを受け、根本堂のみを残して全山灰尽となるも、毛利家そして江戸時代に入るや松平家代々の庇護を受けて今日の伽藍に復興する。 山陰随一の三重塔は安政六年(1869年)1万人講を組織して和尚二代、大工三代の彼岸の末完成する。総欅造り。
用明天皇二年(587)尊隆上人によって開かれた。当時この山は一滴の水も出なかったが、一週間祈願したところ水が湧出し、しかもその水が雨期にも濁ることなく、乾期にも枯れることなく常に清い水を湛えたところから清い水の出る寺、清水寺と命名されたと伝えられる。

清水寺

用明天皇二年(587)尊隆上人によって開かれた。当時この山は一滴の水も出なかったが、一週間祈願したところ水が湧出し、しかもその水が雨期にも濁ることなく、乾期にも枯れることなく常に清い水を湛えたところから清い水の出る寺、清水寺と命名されたと伝えられる。
ご本尊には推古天皇が端夢に厄ばらいの霊験あらたかを感得されたと云われる十一面観音様をお祀りし、ご祈祷をする寺として、厄ばらいの観音様として祟められ、毎年厄年に当たる人たちを中心に信仰を集めている。
早くから朝廷や多くの豪族の信仰を受け栄えてきたが、盛時には四十八坊を数えたと云う。残念ながら尼子と毛利の戦いに巻き込まれ毛利に全山を焼かれるも、勝った毛利家、江戸時代に入って松江藩主歴代の庇護を受け、今日の伽藍に再興する。 また、1400年余の歴史と伝統の中で多くの文化財を有する。国の重要文化財4件、県の指定文化財7件。特に三重塔は山陰唯一であり、清水寺のシンボルとなっている。 また当寺の四季は素晴らしく、特に春の桜・新緑と秋の紅葉は絶景である。
社寺の名称
瑞光山 清水寺(ずいこうざん きよみずでら) 通称 安来 清水寺
宗派
天台宗
御本尊
十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
平安初期の一木造り、島根県指定文化財
創建・開創
尊隆上人 用明2年(587年) 開創
御利益
厄払い、延命長寿の観音様
お祈りの言葉
オン ロケイ ジンバラキリ ソワカ (御真言)
御詠歌
にごらじな きよみずでらに まいるみは こころのうちの つきぞさやけき
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宝蔵(国重要文化財指定仏像六体ほか)の拝観

光明閣書院庭園(江戸中期)

山陰唯一の三重塔の登閣
代表的宝物・国宝・文化財
国重要文化財 根本堂、十一面観音立像、弥陀三尊坐像(三体) 丈六阿弥陀坐像
県指定文化財 三重塔、十一面観音立像、梵鏡ほか
主な行事
☆
還誕祭 4/29~5/5
4/29を清水寺の開山日として、毎年その開山日を祝う
☆
仏教文化講座 5月第4日曜 13:00~17:00
東方学院より2名の講師をお迎えして開講(要予約申込み)
☆
萬燈会 8/23 18:00~22:00
境内に3000個の灯篭を点して博仏供養をする
☆
光明真言会 10月第3日曜 14:00~
慈覚大師伝授の光明真言の悲報でもって、土砂を加持し
死者の霊をとむらう。
☆
大梵焼祭 12/17 9:00~12:00
一年間お護りいただいたお札、お守り、縁起物に感謝して、
天空の浄土に返し、来る新しい年の幸運を祈る。
宿泊施設
境内に「紅葉館」、「松琴館」、「ゆう心」あり
名物食事
清水精進料理
上記宿泊の三館で食べることが出来る。
名物・お土産
清水羊羹
参加可能な研修会や体験もの
坐禅会、写経会、清水寺仏教文化講座、心経講座
交通アクセス
車
米子から10㎞ 安来から4㎞ 交通標識あり
駐車場情報
大型バス20台 普通車150台






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