| 古来出雲国一之宮として知られる熊野大社は松江市の中心から南に約15㎞、車で約30分の山間の地に鎮座している。 |
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| 古来出雲国一の宮として知られる熊野大社は松江市の中心から南に約15㎞、車で約30分の山間の地に鎮座している。神社の前には清らかな意宇川が流れ、お参りにはそこに架けられた朱塗りの八雲橋をわたり手水舎で心身を清め石段を上る。やがてそこに境内の全景が見えてくる。 当社は神祖熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)を主祭神として境内中央正面の御本殿にお祀りしており、この御神名は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の別神名である。 ほか、境内には右手に御后神の稲田姫をお祀りしている稲田神社、左手に御母神の伊邪那美命をお祀りしている伊邪那美神社、また荒神社や稲荷神社がある。ほかに、随神門、鑽火殿、舞殿、環翠亭(休憩所)などさまざまな建物がある。 特に鑽火殿は当社独特の社殿であり、萱葺きの屋根に四方の壁は檜の皮で覆われ、竹でできた縁がめぐらされており発火の神器である燧臼(ひきりうす)、燧杵(ひきりきね)が奉安されている。毎年の鑽火祭(さんかさい)や出雲大社宮司(出雲國造)の襲職時の火継式斎行の大切な祭場になる社殿である。 「今中」の今に至るまでに熊野大神のミハタラキによって人の世の豊楽幸栄のムスヒを蒙っている。 |
社寺の名称
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出雲国一の宮熊野大社(いずものくにいちのみやくまのたいしゃ) |
| 祭神 |
神祖熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみ くしみけぬのみこと)と尊称し奉る 素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭祀奉る 生きとし生けるものの幸栄の縁をムスばれる大神と尊祟する。辛苦を尽くして人々の期待 に報い、人々の幸栄を保証なさった“ムスビ”の神であり、蘇生復活の神。 |
| 創建・開創 |
鎮座は神代にコト始まり、日本書紀(720)の斉明紀には出雲國造に「厳しの神の宮を修造せしむ」とあり、出雲国一の宮と祭祀されてきた。 |
| 御神徳 |
人々のしあわせを守り、人々の願いにこたえ、それを叶えて戴く。 殖産興業・招福縁結・厄除の大神 |
| 祈りの言葉 |
幸魂奇魂守給幸給(さき みたま くし みたま まもり たまい
さきはい たまえ) |
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創建は神代である。 初見は「日本書紀」(720)の斉明天皇5年(659)に「出雲國造を厳神の宮をつくらしむ」との記載がある。「出雲国風土記」(733)の熊野山の条項に「熊野大神の社坐す」とあり、当時は熊野山(現在の天狗山)に鎮座していたことがわかる。「延喜式神名帳」(927)に熊野坐神社と見え、日本火出初神社とも称され、古来杵築大社(出雲大社)と並んで出雲の国の大社として鄭重な扱いをうけた。 上古朝廷のご尊祟が極めて篤く、仁壽元年(851)に従三位を、貞観9年(867)に正二位の神階を授与された。中世の頃に熊野山から麓に移る。また、上の宮、下の宮の二社に分かれ奉仕されるようになり、江戸末期まで上の宮には熊野三社権現、下の宮は伊勢宮とも呼ばれた。殖産興業・招福縁結・厄除の大神として衆庶の信仰が深い。 明治4年(1871)国幣中社、大正5年(1916)国幣大社に進列された。しかし、社号は明治の神社制度改正で大社から神社となってしまい、大社号の復活が望まれて久しかった。が、昭和53年(1978)の昭和戊午遷宮で熊野大社に復活した。 昭和53年の戊午遷宮を機に本殿をはじめ諸社殿、境内が一新され、氏子の会である氏子会はもとより全国に熊野大神を信仰する人々を組織し“祟敬会”を結成して、神光が日々に全国に照り輝いている。古来特に出雲大社との関係が深い。出雲大社の祭祀は熊野大社の「神聖の火《熊野大神の霊》」、燧臼燧杵の神器を拝載する事によってはじまるとされ、出雲大社宮司(出雲國造)の新任時の霊継式(火継)、また年々の当社の鑽火祭に於いて新しいその神器が授与される。 | |
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