| 簸の川上に於いて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は、稲田姫と共にこの須賀の地に至り、美しい雲の立ち昇るのを見て、「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」と歌い、日本で始めての宮殿を作り、鎮った。 |
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す が じ ん じ ゃ
須我神社
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〒699-1205 島根県雲南市大東町須賀260 tel 0854-43-2906 fax 0854-43-5162
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簸の川上に於いて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は、稲田姫と共にこの須賀の地に至り、美しい雲の立ち昇るのを見て、「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」と歌い、日本で始めての宮殿を作り、鎮った。これが古事記・日本書紀に記載されている「須賀宮(すがのみや)」であり、日本初之宮(にほんはつのみや)でもある。 三十一文字の歌も日本で一番古い歌であり、この地が「和歌発祥の地」の由縁でもあり、また、この歌の中の「出雲」が出雲の国名の起元である。 神々の宿る八雲山-御室山(みむろやま)の中腹にそそり立つ巨石(夫婦岩)、大中小三つの磐座(いわくら)は、古代における須我神社の社地であり、須我神社奥の宮として崇敬され、参拝に訪れる人々を神秘の世界に誘い込む。参道は「文学碑の径(ぶんがくひのみち)」として60基の歌碑句碑が建立されている。 また、八雲山の頂上(420m)からは眼下に宍道湖、中海をはじめ島根半島から弓ヶ浜、東方遥かに出雲富士(大山)を一望できる景勝地でもある。 |
社寺の名称
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須我神社(すがじんじゃ) 通称 日本初宮(にほんはつのみや) |
| 祭神 |
須佐之男命(すさのおのみこと)  天照大神の弟神。簸の川上にて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、 須賀の地に至り、宮造をした勇猛な神。
稲田比売命(いなたひめのみこと) 須佐之男命の后神
清之湯山主三名狭漏彦八島野命 (すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと) 須佐之男、奇稲田両神の間に誕生した御子神 武御名方命(たけみなかたのみこと) 諏訪大社の御分霊を中世、合祀した。 もともと出雲に関係の深い神 |
| 創建・開創 |
神代(祭神自ら宮造り) |
| 御利益 |
良縁成就、夫婦円満、子授・安産、除災招福、諸願成就 |
| 祈りの言葉 |
略拝詞(一番短いもの) 祓(はらい)給(たまえ) 清(きよ)め給(たま)え (三回) 守(まも)り給(たま)え 幸(さきわ)え給(たま)え (三回) |
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古事記(和銅五年・712年)所載では、八岐大蛇を退治せられた須佐之男命(すさのおのみこと)と奇稲田比売命(くしいなたひめのみこと)は、出雲国須賀の地においでになり、この地に宮殿を御造りになった。二人の間の御子神が清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)で、この三神が須我神社の主祭神である。 出雲風土記(天平五年・733年)ではここを須我神社、須賀山、須我小川などの名前に表現され、風土記抄(天和三年・1683年)には須我村とあり、須賀は広くこの地方の総称であったことがうかがわれる。 須我小川の流域には、かつて十二の村があった。須我神社はこの地方の総氏神として信仰されていたものであり、また、須我山(御室山、八雲山)の山ふところには巨岩夫婦岩ならびに小祠があり、須我神社奥之宮の磐座(いわくら)として祭祀信仰されている。 合殿の武御名方命(たけみなかたのみこと)は天文年中、当地(淀之荘)地頭職として神(みわ)中沢豊前守が信州諏訪より来任されたとき、その氏神武御名方命の神霊を勧請してこの須我神社に合祀し、諏訪大明神として崇敬せられた。以来村名も諏訪村と改められたが、明治二十二年、元の地名の須賀に復し現在に至っている。 明治二十五年十一月八日、元の島根県社に列せられた。 | |
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